聖便所

聖なるトイレの日記メモその他。

2023-02-07 日記

恩師に連絡を取った。

ここ10年あるいは15年、ずっといつもごく僅かに、顔を上げて生きられないような気持ちで生きてきた。どんな仕事をしても、どんなに人に認められても自分は怠惰で何も成果を挙げられず誰にも微妙に相手にされず、わずかに必要とされないそういう存在なのだとうっすら思っていた。

こういうのは多分一般的には自尊心が削られていると表現したほうがいいのかもしれないが、俺は自分のメンタルの状況を理解するのが苦手・嫌なので、なぜ自分がそう思うのかは深く考えないようにしていた。

なのでものすごく必要以上に、「人は本来自由であって何者にも縛られず存在するだけで尊いのだ」というテーゼを繰り返してきた。わからないが多分そうすることで自尊心を傷つけずにすんだからだ。自分は生来反発精神の塊なのでそういうのも7割ぐらいあると思う。

でも、やっぱり顔をあげる事ができないので、自ら誰かに連絡を取る事もなく、誰かに報告することもなく、クリティカルな場面で旧友から逃げるようにして生活している。
古い友人も今の友人も誰とも分け隔てなく広く付き合い続けよう、つながりつづけようというのが俺の一種の信条なので、それもまたカモフラージュになっている。実際には大切な繋がりを必死で隠して見えないようにし、なんとなく距離を取り、それとなく存在感をなくしたまま逃げ回っているのを覆い隠しているのだ。

実際、俺は怠惰すぎ、堕落的すぎる生活を送っている(いた)と思う。
経済的な危機に陥ったのも一度や二度ではない(友人には感謝している)
だからこのままずっと顔を上げきれないまま生きていくのだと思っていた。

面接受かったときも信じられなかったし、会社受かったときも信じられなかったし、なんならまだ働いてるのが信じられない。考えてみれば異常なんだが、それほど俺の感情が、自分の能力に対して疑心暗鬼になっているという事なんだと思う。
会社の上司はめちゃくちゃ良い人だ。
ステータスに難のある俺の事をわざわざ強く推してくれたらしい。普段嬉しい事じゃ泣かないんだけど、そんな事あるかよってチャット越しに泣いてしまった。
同時に俺が十数年で削ってきた穴がメチャクチャデカいんだなって事がそこで理解できた。

理解できたので、恩師にありがとうと連絡することにしたのだ。
もう出来ると思ったから。