聖便所

聖なるトイレの日記メモその他。

映画館て首疲れない?

☆勉強するということ

故あって経済を勉強し直している。大した理由でも動機でもない。本当に自分の投資と、映画を見るためである。
最近勉強という行為から離れていると思うので丁度よかった。
勉強しようにも何をしたらいいかなんてあまりすぐ思いつくもんではない。何を勉強したっていいとは思うのだ。興味があるものでいい。

もともと成績が極端でガタガタしていて、お世辞にも学校の勉強に熱心なほうではないと思うし学校の勉強なんか大っ嫌いだった。
が、大学では打って変わって喜々として授業を4年まで最大コマ数で取っていた。競争相手のいない勉強は楽しい。自分の好きなものを好きなように勉強できる。意識しないようにしても学校や習い事なんかではどうしても他人がいて、無意識に比較されてしまうことが本当に嫌いで、もちろん競り弱いのもそうだが、負けず嫌いを発揮すると本来好きなものをいとも簡単に見失ってしまうからだ。もちろんライバルがいることでそれが有利に働くメカニズムもあるだろう。けど、僕にとっては孤独なほうが勉強がはるかに楽しいのだ。競争相手が多いと、大いに気力が削がれてしまう。

好きなことはやはり好きな様にやりたい。そうじゃなきゃ嫌いになっちゃうぜ!!

 

☆経済について

経済用語はカッコイイのでいいと思う。 それが問題を隠蔽し、信用のないところに信用を作り出し、信用を膨張させて、でみんながそれに潰される姿は見ていて本当に胸が締め付けられるほど素晴らしい。

金ってのは本来約束で、そのことを信用と言いかえて、チケットになってツールとしてまとめられ、その上に資本主義社会が成り立っているのだから、本質的にいつそれらが変化してしまってもおかしくないシロモノだと思う。でもそれは汚いものではなく、人間なるものの心身の延長であり、それ結局は単なる道具であるといっていい。

溜め込んでもチケットそのものに価値はない。使わなければ金は金として存在していないも同然だ。もっとそこに気づきを得るべきだと思う。人に信用を与えればいい。

ただ、その上でどんな頭のいい人がどんな騙し方をしてくるかは最低限知っていたほうがいいと思う。クソ理屈をこね回した信用の再生産は悪くないとされているからだ。その力が人間というものを文明的に押し上げてきた歴史があるからだ。そういうものに巻き込まれないか、あるいはもっと頭がいいなら利用するとか、そういう判断が最低限できるようにならないと、嫌なやつが無駄にのさばってしまう。

 

(この日記を書いてる最中に寝落ちたのが昨日です)