聖便所

聖なるトイレの日記メモその他。

リップクリームは偉大なり。クリを崇めよ。

日記的なメモとしてテスト。

タイトルと内容は関係がない。唇の調子はおかげで極めて良好である。

 

 

☆クリエイター精神みたいな話

高いプライド(別に悪い意味ではなく)を持って働いているクリエイター達は、非クリエイターからナメられるとすぐ戦闘態勢に入ったりする。そういう事象に、こよく出会うわけだけど、個人的にそんな勢い持って人と対峙するのが謎すぎるのだ。戦いは避けるに越したことはない。俺は粗野で乱雑だが、非暴力主義者である。丁寧で仕事は出来るが戦闘民族みたいな人たちとは精神的にマリアナ海溝ぐらい深い溝がある。別に僕が仕事を蔑ろにしているわけではない。俺の仕事のクオリティだって高いと思っている。しかしそれとこれとは無関係だというのが俺の主張だ。更に言うなら、プライドの高さと仕事のクオリティだって無関係だと思っている。誠実さが常にいい仕事を生むわけではない。金を生むわけでもない。そんなのは巡りあわせとか運とか偶然のささやかな一致に過ぎない。姿勢とかそういうのを実利の因果に持ち込むのは大嫌いだ。

彼らが言うには「ナメる人はプライドを持ってないからこっちの仕事を楽だなんて事を言うんだ」みたいな。いやでも他人の芝生は青く見えるもので、クリエイター業なんていう非日常的であまり関わりのない仕事の人の事を羨ましく思うのはある種当然なのではないか。彼らはこっちがヴェールに包まれて見えてないのだ。

逆に俺たちはクリエイティブ系スキルを育てて来なかった、とても通常社会的なリーマンのつらみとかそういうのから縁遠いわけで、そういうのを一足飛びで反撃に向かうのってなんか大人気ないというか、そこまで怒る事ではないような気がするのだ。てか正直理解不能だ。解らない人には形だけでも寄り添ってさしあげろ。争いは防げるでしょ。

 

☆がんばらないこと

原体験を遡ると、俺は本当に「頑張れば達成する」みたいな事象に対して殺意のようなものを抱いているのだと思う。些か過激な表現だが、うまい表現が見当たらなかったので便宜的にそう言わせていただく。

芯が恐らくそれなんだろう。思考の変遷は激しいけど、そこだけは物心付く前から変わってないような気がする。

幼稚園の頃ぐらいから、恐らく一般的なレベルで「頑張らされる」事は多かった。多分。頑張れば達成感があるとか。もちろん結果的にそれを達成することだってあるが、達成感などというものを抱いたためしは一度もなく、疎外感と孤独感とどうでも良さが心に去来するのだ。結果は結果で、有利だったらラッキー、不利だったら残念。それだけに過ぎない。

頑張るってことは辛い事だ。僕は辛い事が大大大大大大大大大大大大嫌いだ。成長が出来るとかどうでもいい。好きなことでも成長はできるし、成長なんざ勝手についてくる。結局がんばらないレベルでも出来ることが滅茶苦茶多い。頑張ったって出来ない事もある。(同時にそれは出来ることだってもちろんあるということだ)それを頑張ったせいにはしたくない。出来なかった時不幸すぎるでしょ。うっかり他人を攻める理由にもなっちゃう。

頑張ろうとすると心が折れる。俺はもう本当些細な事でうっかりポッキリすぐ折れる。だから折らないよう細心の注意を払って生きるようにしている。折れない為に何が必要かといえば「ただ淡々とすすめること」だと思う。

例えば終電のがして15km歩くよまじつら……リスカしょ……みたいな時、時間とか距離を確認したりすると普通に辛い。あと10kmあるとかそういうの考えてしまう。ただ何も考えず家で居間に向かうような体でゆっくり 本当にゆっくり音楽聞いたりWEB記事確認したりそれについて考えたりしながらゆっくり家に帰る。それだけでだいぶ楽だ(と個人的には思っている)。家でゴロゴロしてたとか思えばいい。目標とか絶対見ない。自分が今進んでいる位置とかも確認すると辛い。

それと同じで、目標を確認して頑張るぞ!みたいな負荷を心にかけるとうっかり折れて足を止めかねない。

でもここらへん、目標が見えないと辛いっていう人も多いらしいから俺みたいな心すぐ折れるマンにしかわからない話なのかもしれない。

恐らく俺みたいに何も考えずルーチンを繰り返すの別に苦じゃないですみたいな人はメンタリティ的にクリエイターに向いていないのかもしれないが、メンタリティで人間のスキルは決まらないのである。俺のスキルがクリエイティブにしか適正がなかったのだからやれることをやるしかないのである。はぁつらリスカしょ……。

 

 

 

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