聖便所

聖なるトイレの日記メモその他。

のどスプレーとリップクリームと保湿液ってどんだけ水分欲しがってんの?

そのうえお茶は大好き!一日1~2Lは飲みます!
もうこうなれば人間の90%は水でできているし、犯罪者の100%はDHMOを飲んだことがあるというのもあながち嘘ではないかもしれない。

 

【好きな映画・物語について】

俺はあまり映画を知らない。多動につき長時間座ってられないというごく単純かつ面倒くさい理由による。

連日の俺の脈絡ないしょうもない話に付き合ってくれてしまう友人2人に映画のオススメをきいていたのだが、世の中にはびっくりするほどホラー・サスペンス映画の名作というものが溢れているらしい。自分でホラー映画は見ないので出てくる名前出てくる名前全然全く一切合切知らないものばかりだ。ふたりともなんで見てんの?
映画って教養なんだな、とかそういう事を思うと同時に俺は不勉強な人間だという反省をする。でもこれからもあまり映画は見ないと思う。それでも映画を見たくないわけではない。人工神経ネットワークのように極彩色で複雑な乙女心は春のごとく。
どうにもこうにもビビリ故にホラー・スプラッター系を好んで見る事はない。絶叫コースターも乗らない。世の中には非現実的かつ高刺激性のものを好んで摂取するマゾが一杯いるんだなと思ったけど、俺も普段は局所的にドMなので人の事はいえない。
かと言ってサスペンスやドラマ、心にズッシリくる重い話なんかも見ててつらいのが解ってても見るかといわれたらそうでもないし、ギャグやコメディは笑えない事が多い。ハートフルとか虫酸が走るほど嫌いな事も多いし。アクション……うーん嫌いではない。けどアクションは大概話が毒にも薬にもならない。……そう、毒にも薬にもならないのが俺は嫌なのだ。あわよくば薬になってくれ。なんなら毒でもいい。頼む。そんな思いが心に募っては消え募っては消え。
というように世の中を時間と手間のコスパで見てしまう本当に浅ましいコスパ厨であり、自分にとって無駄な時間を出来るだけ多くとりたいというその怠惰な欲求のせいで映画すらマトモに見れてない。うわ自分で文章にしてドン引き。そんな馬鹿な。クソが。

そもそも映画にかぎらず、小説なんかでも俺の好みの作品とはなんだろうと思い返した所、幾つかの法則が見えてきた。この傾向がどれかあると琴線に触れるような気がする。

  1. ドキュメンタリーorノンフィクションベース
    本を読むのも同じく苦手なのだが(能動的行動が必要)、それでも苦なく読める本は何かというとドキュメンタリーやレシピ・哲学・技術書・経済書などの実用書の類だ。こないだ喜々として見ていた映画は生まれて初めて映画館に2回足を運ぼうかと思ったが、あれもノンフィクションベースの脚色映画である。ファンタジー好きではあるのだが、存外現実から生まれたものが好きなんだなとあまり受け止めたくない結果だ。けれど、現実から生まれたからこそ創作にはない割り切れなさや機微があるのかもしれない。あと、へえ~ってなりたい。知らないことをたくさん知れるというのもドキュメンタリーならではかもしれない。

  2. 見てカッコイイ
    そのまんまである。
    Joseph Campbellが言うには映画館は現代の神殿らしい。であるなら、映画は神殿で見る聖書と、神父様の説法にほかならない。イコンがあり、ヒーローである神の子がいて、そのドラマに心を震わしやがてソレが信仰になるのだ。きっと。多分。なら、そのヴィジュアルは努めてカッコ良くなくてはならないと思う。なんの為に宗教芸術があるのか。見たものにとって神話をよりドラマティックにするため、良さを引き立てるためだ。そのためには誰もが圧倒されるヴィジュアルが必要なのである。カッコ良さは正義。

  3. 設定がスタイリッシュ
    上記に繋がるが、舞台設定やキャラクターの造形がオシャレだと良い。これは本当にただの趣味だが、泥臭い映画は普通に見てて重苦しくなってくるので、できればスターバックスでマックを開き、ドバイのホテルで一夜を明かし、ガラス張りのビル街を通り、iPhoneFacebookを使いこなしている姿が普通に出てくるようなそういうなんか「いわゆるオシャレ」な設定だと楽しい。
    それ以外にもキャラクター像において中二くさい設定があったりするとなお良いのだが、そこまで来るならもうアニメでいい。

  4. 物語が複雑・情報量が多い
    語られる情報量が一直線ではなく、複雑な事態が同時に進行しているような映画は記憶との戦いという側面もあってスリリングで面白い。前のほうの項目でもいったが、へえーってなりたさが極まっている。物語や設定や話が複雑だと、自分の知らない概念や知識がバンバンでてきて、脳を楽しく刺激してくれる。そういう時はあまり眠くならない。映画館での痴態を防ぐことに一役かっていると思う。

  5. シンプルな答えが出ない
    世の中物語の力強さはシンプルであるかにかかっているが、物語がここまで反乱した現代においては過度にシンプルさが求められすぎていると思う。
    物語の途中が複雑でも、帰結をYES NOどちらかに寄せてしまえばそこまでの物語が紐で閉じられて終わってしまう。フタを占めることができない遠い場所を目指す答えが最後に現れる事で、読者が作者の思考力に打ち負かされるのだ。そんな物語がいい。

  6. いわゆる「芸術的な」映画
    そのカット必要だった?というような絵、暗示的なアングル、セリフ回し、音楽……そういう要素がつまった映画や物語は、深読みする余地が多くて視聴後にそれについて考える事が多くなる。おそらくそう設計されてもいる。しかもあまりに芸術的にすぎると、答えが用意されていないことすらある。そういう仕込みを一つ一つ読み解いていくのは最高に贅沢な時間だと思う。作品が終わっても作品がまだ延長されているような気分になる。

  7. ミュージカル(あるいは音楽物語)
    音楽は劇音楽しか生きられないとカール・オルフカルミナ・ブラーナを書いた人ね)が言ってもうすぐ100年ぐらいになる。実際にはもちろんそんな事はなかったんだけど、それでもある程度現在でもこの言葉は有効だと俺はおもっている。音楽は単体では生きられなくなりつつあるのは皆気づいている。その中でミュージカルというのは映画と音楽のいいとこ取りを行った延命措置として実に適切に機能している。説得力の弱さを音楽で補う事はもちろん、音楽を映像で補完すると人間の脳にとって何倍も音楽は面白いものに聞こえてくる。映像も然りだ。その作品を視聴した時に得る満足感は、それをただの映像作品・音楽作品として別々に見る時の数倍になると思う。だからといって良いかは不明だが、ミュージカルには逃れようのない力があるし、面白い事が多い。(でも言うてそんなに好きな作品はない。)

眠くなってきた。なんか思いついたら追記する。